幻想、反体制、解放を歌うシューゲイザー/Life On Venus「For the Kill」についての覚書

Column

text:aro
edit:osushitabeiko

ロシア・モスクワを拠点に活動するシューゲイザー・バンド、Life On Venusの1stアルバム『Odes to the Void』は、ロシアのシューゲイザーらしい激情と冷たさ、静寂を抱える内省的な作品だ。

“Cause tonight / I’ll go for the kill / To find what’s real / I promise I will”と直截的に歌う「For the Kill」の冷たい叙情と詞世界からは、同じく少年による殺人が物語の重要な要素となるフー・ ボーの映画『象は静かに座っている』を想起させられる。 

『象は静かに座っている』中国版ポスター

後述するようなある種の反体制性があり、同時に詩的な心情告白である歌詞とその映画で描かれる偶然による殺人には大きな差があるが、叙情やポエジーを持って深刻な事柄に触れているという点と、決してその行いを単純に肯定している訳ではないという点に共通性を感じた。Life On Venusの音楽には強烈な幻想性があり、『象は静かに座っている』にはリアルを描きつつそれを超える映像のポエジーがあって、現実の超克という点で共通項があるのだろう。その映画では時間が経つにつれて殺人を犯した主人公が自らの罪を間違った形で肯定し始めるが、「For the Kill」で は悲愴の中で確信を持って歌われる。

悲愴の中で確信を持って歌われる殺人、捉え方を変えると全編を通じてサウンドや歌詞から冷たい感覚を受けるのは、ロシアの深刻な国内情勢や体制による抑圧、自分達の個人的な問題などの深刻なリアリティを悲劇として捉え、それを音楽として昇華しているからだ。“I’ll go for kill”に続いて“I will fight / To know what is right / And if I still feel / I promise I will”と歌われているのを聴くと、恐らく「For the Kill」は詩的な心情告白であると同時に、自分達を抑圧する者に対する殺人、つまり自由と正しさを求める行為として歌われているのが分かる。それと同時に、曲の全編を通じて透明な悲愴が漂っていて、決して殺人を賛美している訳ではなく、 ある種の悲劇の中で起きる出来事として描いている。決してアナーコパンク(=無政府主義パンク)のような政治的な音楽性ではなく、幻想を抱えた音楽として展開しているのが優れたシューゲイザーの真骨頂で、このアルバムを名盤として決定付けている理由の一つだ。その点でMy Bloody Valentine『Loveless』の幻想性の系譜に沿っているとも言えるだろう。政治や社会のリアリズムによって音楽が減衰しないのは彼らが直接的な働きかけではなく、リスナーの現実を揺さぶる幻想を志向しているからであり、独白に近い詩的な心情告白として表現しているからとも言える。それは『Loveless』以降のシューゲイザーの流儀だろう。Life On Venusにとってシューゲイザーの幻想性は、ある種の武装なのだ。 

Life On Venus

「For the Kill」がアルバム屈指の名曲足り得たのは、ここまで述べた深刻なリアリティと対峙し、それを悲劇として捉え、音楽に昇華してカタルシスと自浄を生む方法がLife On Venusの音楽の方法の中核を成しているからで、そのリアリティに対する自己治療とそれを幻想として表現することが彼らのシリアスなテーマの一つだからだろう。政治や社会に音楽を還元するつもりはないが、叙情と幻想を抱えたシューゲイザーという彼らの音楽性とテーマの一つが合致した結果と言える。 

近い音楽性を展開しているのは、同じくロシア出身のNoir for Rachelだろうか。彼らも深刻なリアリティと対峙した結果としてそれを悲劇として捉えていて、若干ドリームポップ的でメロウなLife On Venusと比較するとより直截的な轟音シューゲイザーを展開している。 また、余談だが、ロシアのサンクトペテルブルグとモスクワにはシューゲイザー/ブラックゲイズのシーンが存在する。Life On Venusはその現行シーンの中核を成している。 『Odes to the void』は全編に漂う叙情と深いアンビエンスが美しいロシア産シューゲイザーの名盤だ。幻想を持って反体制を歌う反骨精神溢れる音楽であり、深刻なリアリティと対峙した結果として生まれた真摯な作品である。

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