Posted on: 2023年12月25日 Posted by: 對馬拓 Comments: 0

筆者がbutohesと出会ったのは2021年、1st EP『Lost in Watercycle』がリリースされた6月のことだった。タイムラインを賑わせていたそれを聴いてみると、自分が欲している音が全部あった。メロディーは流麗で、ヴォーカルの感触は低体温。しかしよく聴くとアンサンブルは肉体的。響きを重視した、意味をも超えたようなリリック。それらが身体の中を巡っていく──当然、音源を反芻するだけでは飽き足らず、ライブへ自ずと足を運ぶようになる。彼らも東京のインディー・シーンの中で徐々に頭角を現していった。

そして2023年、2nd EP『to breathe』が4月にリリースされた。自主企画、初のツアー(ただし台風のため予定通りとはいかなかった)、カテゴリーに囚われない対バンイベントへの出演など、かつてないペースでライブを重ね、butohesはその存在を着実に広げつつある。

これまで発表された音源は、シンセサイザーなどを使用せず録音された音のみで制作されているという(あまりにも精緻なサウンド・プロダクションに感動する)。また、レコーディングとミキシングは、エンジニアでもあるフロントマンのMichiro Inatsugが自ら担当。徹底されたセルフ・プロデュースにより、無二の音像と作品世界が構築されているのだ。

では、butohesはそこへ至るまでにどのような歴史があったのか。そして、彼らは何を奏でるのか──共に作詞を手掛けるMichiro InatsugとNaoto Fgが、バンドの歩みを語る。

インタビュー/文/編集=對馬拓

* * *

■ 一緒にバンドをやるなんて本当に思ってなかった

──まずは結成当初の話から。結成は何年ですか?

Michiro Inatsug(Vo. Gt. / 以下ミチロウ) 2019年の6月22日ですね。

Naoto Fg(Ba. / 以下フジ) 平日、仕事終わりに会った記憶がある。 カフェかどこかで話したよね?

ミチロウ 学芸大学(駅)に来てもらった日だね。butohesには元々別のヴォーカルがいたんです。僕のバイト先の人だったんですけど、そこでみんなに(彼と)初めて会ってもらって。

フジ そのヴォーカルの子にミチロウが「こんな感じでバンドやりたいんだけど、やる?」って言ってね。

ミチロウ で、今に至りますね。

──端折りすぎでは。笑 その時点ではメンバーは5人だったんですか?

ミチロウ まだカンジュ(Kanju Inatsug / Gt. Cho.)はその時いなくて。元々はヨネスケ(Kate Yonnesz / Dr.)とフジと3人でやってたんですけど、ギターかヴォーカルがもう1人欲しい、ってなって。それでバイト先にたまたま音楽が好きなやつがいたから誘って。

フジ だからミチロウは最初ヴォーカルじゃなかった。

ミチロウ 元々、僕は曲だけ作ってました。

──じゃあ、そこで4人揃ってbutohes結成となったわけですね。

〈L→R〉Kate Yonnesz(Dr.)Michiro Inatsug(Vo. Gt.)Naoto Fg(Ba.)Kanju Inatsug(Gt. Cho.)
写真=Yusuke Mori

ミチロウ そもそもフジとヨネスケは僕の友達で、ヨネスケとは高校生の時から一緒にバンドをやっていました。僕がbutohesの前にやってたバンドからメンバーが抜けた時も、サポートで入ってくれたりしてて。フジは大学の時に対バンして知り合いました(manent)。僕が当時やってたバンドは、それこそ今よりもっとシューゲイザーみたいな音楽だったんですよ。ヴォーカルも女の子でした。で、シューゲイザーっていうものはそんなに認知されてないし、日本でやってるのは俺たちだけだろうなと勝手に思ってたんだけど、実際はいっぱいいたっていう。笑

一同 笑

ミチロウ そのバンドの最後のアルバムを作ろうってなったんですけど、ドラムとベースが抜けちゃったんで、そこにフジとヨネスケがそれぞれ僕の共通の知り合いとして加わって。3人の出会いはそんな感じです。当時作ってたアルバムは未完なんですが、今でも完成させたいと思ってます。とにかく、3人でスタジオに入ってた期間がめっちゃ長かったですね。3〜4年くらい。

フジ そんなにだっけ?!

ミチロウ 19歳の時だもん、フジと知り合ったの。

フジ そうか。でも本格的にライブ活動し始めたのはカンジュが入ってからさらに1年後ぐらいだよね。

ミチロウ 最初の頃は、フジとヨネスケが就職浪人してた時期と被ってあんまり動けなかったね。

フジ 僕は無職だった期間が3ヶ月、ヨネスケは多分1年くらいあったので。笑 本当は2020年の3月に初ライブがあるはずがコロナでなくなって、前のヴォーカルもその後に事情があって辞めることになって。でも既に夜通しプリプロしたりして、レコーディングに向けて動いてたので、誰かにギターを弾いてもらおうってなったんですけど、何人か候補が上がりつつも決まらなくて。3人だけでやろうとしてたこともあったけど、最終的にカンジュになった。正式に加入したのは2020年11月とか。

ミチロウ カンジュが加わるまでには、またひと山あって。笑 4人でやる想定の曲を作ってたんで、とにかくギターかヴォーカルが必要だったんですよね。1st EP(『Lost in Watercycle』)に収録されてる曲は、前のヴォーカルが歌うために作った曲だったんです。でも、今フジが言ったように候補を挙げても決まらなくて、「じゃあ俺が作ってる曲だし俺が歌うか」って。本当に自分が歌っていいのか悩んでた時期もあったんですけど、ある友達が「これお前が歌えよ!」って言ってくれたんですよね。ナリタジュンヤってやつなんですけど。彼は現体制発足のキーマンですね。それで意思が固まって、自分が歌うことになりました。それでギタリストを探してるタイミングで、弟が大学の軽音サークルに入ってたから、その卒業ライブに行ったんですよ(*1)。

*1:カンジュはミチロウの実の弟。

フジ カンジュ、元々はベース弾いてたんです。

ミチロウ そうそう。で、カンジュに「いいギタリストいる?」って聞いたら「いると思う、紹介するよ」みたいな感じだったのでライブに行ってみたんですけど、まあ大学のサークルのライブなんで、結構ひどくて。超内輪ノリだし、ステージでみんな「乾杯!」って言って飲んで。 紹興酒とか飲んでましたからね。

フジ えええ!笑

ミチロウ コピバンなんですけど、酔って全員弾けてなくて。俺ずっと「酒飲むなよヘタクソ!」って野次ってました。カンジュがそういうことをする性格じゃないのは知ってたし、自分の弟を巻き込んだ悪い先輩たちにムカついてしまって、その日に盛大に兄弟喧嘩しました。「お前ベース上手なのになんで真面目に弾かないんだよ」って言って。(年は)3つ離れてるんですけど、生まれてからずっと仲のいい兄弟だったんで、もうお互い半泣きで。一緒にバンドをやるって発想は全然なかったんですけど、最終的にカンジュが「僕で良かったら手伝いたい」って言って。2人とも号泣。笑

フジ で、ベースを売って今のギターを買ったんだよね。

ミチロウ 最初はサポート・メンバーの想定だったんですけど、サウンド的にもキャラクター的にも欠かせない人になりました。

──その酷いライブがなければ、違う未来だったかもしれない。

ミチロウ いやあ、泣けますね。一緒にバンドをやるなんて本当に思ってなかったんです。最初のスタジオも「Superplume」だけ合わせようって感じで、(カンジュは)エフェクターも全然持ってないし音作りも分かってない状態で入ってきて。完全にビビってました。笑 でもそこからすごい頑張ってくれて。ギターは元々弾けたんですけど、あえて避けてたみたいなんですよ。昔からカンジュの方が勉強も習い事も何でもできちゃう子だったんで、多分、俺が音楽をやる領域を開けておいてくれてたんだと思うんですね。高校生くらいの時にカンジュが親に楽器を買ってもらったのを見て「お前もギター始めるんか! 俺の領域に入ってこないでくれ!」って、複雑な気持ちで。ギターは自分が唯一誇れて熱中できることだったから。カンジュはそれを感じ取ってたんだと思います。でも結局、ギターでバンドやってくれることになって。色々と転機でしたね。だから抑圧されてた分、ギターがめっちゃ大好きになったみたいで。「ギターってマジ半端ないんだよ! ベースの比じゃないよ! 可能性を感じるよ!」みたいな。笑

──いい話だ。

フジ ほんと、いい話ですよ。

■ だから、海の音がする

フジ 初ライブは、(1st EPの)音源をほぼ作り終わって、その年明けに下北沢THREEでやって。

*2:2021年4月25日に開催された『peeeky』

ミチロウ そうか、もうそんな前か。

フジ (原曲よりも)爆速で演奏してたね。

ミチロウ 速かった。

フジ その日のライブ、manentでライブしてた時と違って苦しみがなくて、超楽しかったんですよね。多分色々ミスってたと思うんですけど、シンプルに尋常じゃなく楽しくて、「これはいけるぞ!」って。笑 元々曲を聴いた時点で思ってたけど、バンドとして「いける」って改めて思って。

ミチロウ 俺その日、自分のギターが壊れて人から借りてたから激萎えしてた。笑 

フジ ライブが楽しいって、manentの時はあんまり思わなかったんですよ。友達かき集めて自主企画やって、本当にお客さん来ないし、人気もないし。でもミチロウはめっちゃ来てくれて。

ミチロウ 多分、俺が一番彼らにお金落としてる。笑

一同 笑

写真=加藤春日

フジ manentが僕の大学卒業のタイミングと同時に音沙汰なくなって、うーん、ってなってる時に、ちょうどbutohesが動き始めて。「manentの人が何かやってるらしい」って感じで、友達とかmanentと過去に対バンした人たちとかが聴いてくれて。

ミチロウ 最初にSoundCloudに上げた音源とかはそういう感じだったよね。俺のこと知ってる人はほとんどいなかったから、manentのファンばっかり。

フジ butohesがどうやって知られていったのか、実態があんまり掴めてないんですけど、そういう要素は一応あったのかなと。

ミチロウ 「Hyperblue」をリリースしたタイミングになってくると、また状況が変わってたかな。

──僕は先行シングルが出たタイミングではまだ知らなかったんですけど、1st EPのリリース当日くらいに、Twitter(現X)のタイムラインでみんな話題にしてて。それで聴いてみたら、すげえ良かったっていう。

ミチロウ ありがとう〜! 出会ってくれて!

──もう一瞬で好きになりました。本当に。びっくりした。

フジ 嬉しい。

──なんというか、聴いたことのない音楽だったんですよ。組み合わせの妙というか。自分の好きな要素がたくさん入ってて、それらを全部兼ね備えてるバンドって他にいないと思って。衝撃でした。

ミチロウ ありがとうございます。

フジ 正直、僕もそんな感じです。それで「一緒にやりたい」って思って。ミチロウが元々やってたバンドも超かっこよかったから、僕からラブコールして実際に会ったんですけど。

ミチロウ でも、初めて(お互いのバンドで)対バンした日はそんなに仲良くならなくて……。

フジ 爆笑

ミチロウ manentの他のメンバーとは仲良くなったんですけどね。

フジ 僕はずっと黙ってましたね。

ミチロウ なんかずっとニコニコしてる眼鏡の子がいるな〜と思って。笑 その日にみんなとLINE交換したんですけど、帰ってからめっちゃ長文メッセージが来て。それだけ強烈に覚えてます。笑 それで好きな音楽とかの話して。フジとの馴れ初めはそんな感じ。

──1st EP『Lost in Watercycle』に先駆けて「Hyperblue」と「T.O.L」がシングルとして最初にリリースされましたが、この2曲は活動初期からあったんですか?

ミチロウ 曲として一番最初にあったのは「Superplume」です。「Hyperblue」は割と新しい曲なんですよね。デモが初めて生まれた日のメモがあるんですけど……「Superplume」は2019年の6月17日、「Hyperblue」は2020年の3月14日。1stの曲だと「Aquarium」が一番新しい曲なんですけど、「Hyperblue」はその次に新しい曲ですね。だから「Pluto」の方が古いんですよ。「Pluto」の後に「Hyperblue」ができてる。

フジ 顔合わせで呼ばれた時にあったのは「Superplume」でしたね。「zero gravity」は、“ミチロウと他のメンバーで共作を1曲ずつしてみようキャンペーン”みたいなのがあって、その時に僕とミチロウでデモを作りました。「T.O.L」はさらにその後。FRIENDSHIP.にはどの段階で送ったっけ?

ミチロウ ラフミ(ラフミックス)で送った。ミックスが終わってなかった状態だったんですけど、「もういいから送りなよ」って周りの人に言われて。

フジ 最初に音源を「FRIENDSHIP.に送れ」って言ったのは僕ですね。それまでほんと、狭い部屋でみんなで鳴らして「最高!」って言ってただけのものが、世にどう思われるか全く考えてなかった。でも「絶対広まるし意味あるから送りやがれ!」って言って。笑 で、ラフの段階だったのにOK出たので、リリースのプランを組んで、シングル2枚切りますって感じで動き始めました。ライブも、たまたま知り合いのブッカーさんがいたので、「初ライブの場所くれませんか?」って言ってTHREEに出た感じです。

──「T.O.L」はMVもありますよね。あれ、かなり好きです。

フジ 「T.O.L」のMVは大変だったね……。まず夜中に海岸の手前で車のタイヤが砂に飲まれて、それを木とか挟んで出すとか、あげく日中もタイヤが砂浜にはまって海岸のみなさんにご協力いただいて出してもらうってくだりがあったし。そもそも明け方のショットを撮りたいから、夜からやろうって言って全員徹夜でやってたんですけど。車(のタイヤを)出し終わって(MVのように)並んで撮ろうと思ったら、だんだん明け方にかけてサーファーのみなさんがやってきて画角が狭くなっちゃって、踊れる範囲も狭くなって。みんな寝てないし砂まみれだし、とんでもない状態で。笑

ミチロウ ……まあ、そこまでしてやりたかったことなのか謎だけど。笑 ヤケクソですよ。車掘った後の顔だから、あれ。もう爪の間とか砂だらけで。まだ俺のギターの中にあの時の砂入ってます。

フジ だから、海の音がする。

一同 笑

フジ あのエピソードはbutohesらしすぎて。笑 そういうバンドなんだよな〜感がすごいです。何か大きなことをやる前に、誰かしら事故る。

ミチロウ あんまり運がない。

フジ 1st EPのリリース・パーティー(*3)の前日のリハで警察が来るとか。カンジュがスタジオの隣にあった原付に車をぶつけて。

*3:2021年6月26日に下北沢THREEにて開催された『Release Party of “Lost in Watercycle”』

ミチロウ カゴをちょっとへこましちゃって。それを正直に持ち主に言ったら「警察呼ぶぞ!」ってなって。笑 やらかすんですよね〜。いつも不運。

フジ カルマってるよね。

写真=加藤春日

■ 命名したものが自分に返ってくる

──そもそもbutohesというバンド名は誰がつけたんですか?

ミチロウ 私です。

──由来は暗黒舞踏だとか。

ミチロウ 大学に哲学の先生がいたんですけど、その人が土方巽(暗黒舞踏の創始者)のお弟子さんで。それで、ハイデガーか何かの授業の時、唐突に暗黒舞踏の上映会みたいなのが始まって、土方巽の暗黒舞踏をでかいスクリーンで観たんです。 めっちゃ衝撃を受けて、「これだ!」と思って。 何が良かったのか全然分かんないんですけど、めちゃくちゃかっこよかったんですよね。バンド組むんだったら“舞踏”って名前つけたいなって。……これ、言っていいのか分かんないですけど、“butohes”って変なスペルじゃないですか。最後の“es”は僕が英語できなさすぎて、普通にスペルミスなんですよ。

──確かに“e”はつかないよな〜とは思ってました。

フジ でもエゴサしやすくなるのでいいと思うんですよね。

ミチロウ “butoh”って単語だけで暗黒舞踏を指すんですけど、複数形というか“◯◯ズ”みたいにしたくて。でもスペルをミスったのでこのようになってます。

──結果的に不思議な字面になってるのが、気になるきっかけにはなりますよね。

フジ 海外の人は読めないみたいです。人工音声とかで読ませると“ビュートヘイズ”になる。笑

ミチロウ 前に対バンしたSubsonic Eyeとかもそうだったんだけど、海外のバンドに会った時「Oh, ブトース?!」「これで?!」みたいな反応で。笑 いいんですけどね。ブトーズでも、ブトヘスでも。

フジ 暗黒舞踏を知ってる人がbutohesを聴いたら「明るっ!」って思うかもしれない。なんか、イメージ的にはドゥームとかじゃないですか。笑

ミチロウ (暗黒舞踏の)会場でかかってるのがドローンとかだし。笑 でも意外と踊りそのものはポップだったりするじゃないすか、暗黒舞踏って。キャッチーさがあるというか。それもすごくいい。

フジ 誰かのレビューか何かで、「butohesと聞いて、凝り固まった野郎どもなのかと思ったら全然違った」みたいなこと書かれてたもんね。だからバンド名から想像する音ではないんだろうなと。

ミチロウ まあ、命題というかね。暗黒舞踏って、“死にゆく、地に伏し行く身体を踊らせる”みたいなテーゼがあるので、そこは僕らの音楽にも近いものがあるかもしれないです。めっちゃ暗黒舞踏に詳しいわけじゃないんすけどね。「ほお、カッケー!」と思ったからつけただけなんで。

フジ 偶然なんですけど、僕は大学で詩の勉強をしてて、その時の詩の先生がよくよく調べたら土方巽の研究で何冊か出してたんです。「ああ、これはカルマだ」と思って。笑

──なるべくしてなった感じがしますね。

ミチロウ そういうことがあるんですよ。命名したものが自分に返ってくるみたいな。

■ とにかく同じことはしたくなかった

フジ で、1stのリリパやって、もう音源作っちゃうかみたいな話になったので、ライブしなくなって。でもcolormalとthe Stillとシバノソウさんのイベント(*4)に呼んでもらって、それがたまたまちょっと大きい規模のイベントだったから、人に知ってもらう機会はちょこちょこあって。その日、colormalは「瞳」を初めて演奏してて、僕らは「Alba」を初めてやりました。

*4:2021年11月13日に下北沢GARAGEで開催された『9月になる前に』

ミチロウ え、そうなの?! 「Alba」ってそんな前からやってたの?

フジ うん。今と全然ベースが違ってて、あと全員混乱しながら演奏してた。笑 それから半年以上ずっと混乱してたと思う。クリックとかの概念がないから、全員タップテンポで、リフ自体をドラムの速度とかに合わせて変えるから、原型がなくなって。

ミチロウ カオティック・ハードコアだね。

フジ いや、ほんとそんな感じ。笑 聴いてる側は本当に怖かっただろうなって思いました。7分間も変なことをやり続けて。

──1stと2nd、結構違うじゃないですか。音もそうだし、1stってロック・バンド然としてて、「Aquarium」とかで感じられた要素がより2ndで前面に出てる、というのが個人的な印象です。この辺ってどれほど意識してますか?

フジ 僕はデモ聴いてそこまで乖離があるとは思ってなかったけど、新境地に入ってるとは思った。っていうのは、「Walkalone」が2021年の4月とかにできてるから。「Aquarium」までで1stが終わってるとして、その次が「Walkalone」なんですね。

フジ デモも聴いてない状態で「なんか4行分くらい言葉くれない?」みたいなLINEが来て、テーマも提示されて。で、まあ書いてみるわって言って2時間くらいで送って、すぐに「Walkalone」が送られてきて、「できてる!」って。笑 しかもめちゃくちゃ中心に歌があった。多分、元はギターのリフを聴かせる曲だと思うんですけど、乗ってるメロが「これは誰でも好きなやつだ!」って僕は思って。ポップさというかキャッチーさというか、“普遍”にアクセスしやすいものが自然と出てきたことにちょっと驚いた。歌詞もさすがに若干韻律は意識して書いたんですけど、割とスーって書いたやつがほぼそのままメロディーに乗ってて、えらいこっちゃと。笑

最初に送った「Walkalone」の歌詞

フジ ……でも、ビートとか諸々が全然決まらなくて。ライブでも「セトリに入れたいけど、まだ決まってないからやれない」みたいなのが続いて。最後の最後、プリプロの時くらいまでビートが「これで」ってならなかったような記憶があります。なにより、ミチロウが自分で歌うために作った最初の曲になるんですよね。1stは前のヴォーカルのために書いた曲なので。だから、ある意味2ndから考え方とかが意識的なり無意識的なり、変わってるんだろうなと思いますね。

ミチロウ 「Walkalone」のデモはドラムとギター(1本)とベースと歌だけだから、ギターはカンジュが自分のパートは全部自分で作った。結局ポスプロ(ポスト・プロダクション)の時まで「ギターどうしよう」みたいになって。僕がアコギめっちゃ足してああなったんすけど。「Walkalone」は多分一番デモから変わってる。普段、デモから完成品がすごい変わってることってあんまりないんですよ。珍しくセッションして作った、みたいなところもちょっとあるかもしれない。

フジ 次はどんな曲だろうって思って、来たのが「Alba」なんですよ。ギターはほぼ今のまんまだったと思います。尺とかはスタジオで合わせながら調整して、今の形になってるんですけど。あれが送られてきて、「もう〜! どうなっちゃうんだ〜」って。笑 そういえば「Alba」に対して「Hyperblue」の流れを感じるみたいな意見もちょこちょこあって、まあ違うけど──その気持ちもちょっと分かります。聴く側からしたら「buothesといえばギターのディレイのフレーズ」ってイメージが確立されつつあるんだなと実感しました。

──確かにそれはあるかもしれない。

写真=Yusuke Mori

ミチロウ ちょっと話戻っちゃうんですけど、1stはそもそも、2年間死ぬほど聴き続けてた曲たちで。「Hyperblue」とかもマジで聴きまくって頭おかしくなっちゃったけど、みんなが「すごい」って言ってくれて反響もあって、めっちゃびっくりしたんです。でもミュージシャンってみんなそうだと思うんですけど、リリースしたものってとっくに自分の中では古くて。「これいいの? これかっこいいの?!」みたいな状態だったんすよ。笑 それでも自分たちが思ってたより受け入れてくれて、名前も知ってもらえるようになって。大体1stってもう「手札を全部詰めてこんにちは」みたいな、名刺みたいな感じじゃないすか。それを出した後、同じことやっても意味ないな、と思ったんです。ヴォーカルが変わって、俺が歌う曲だと思って書いたのって、多分「Walkalone」が初めてだったし。あと、できる方法論をいろんなものから拝借して、それを解釈して広げてくみたいなことがしたかったんですよね、2ndは。メンバーに話したかどうか分かんないけど、自分の中ではずっとそういうテーマがありました。とにかく1stと同じことはしたくなかった。「Aquarium」と、他のアンビエントとかポスプロ系の曲では、やっぱり参照した方法論が違うし、でも積み重ね方とかに自分のフェチが出てるから、そこがbutohesの一つの同一性みたいなことはあるのかもしれない。だから2ndは頭で考えて発進することが多かったんですよね。1stはもうノリで作ってたんですけど。ロック・バンドっぽいって思うのはそういうところかもしれないです。でも1stもセッションで作った曲はないんですよね。

フジ 確かにね、実は。

ミチロウ 重ねるだけ重ねてフェチを研究して、でも崩壊してる。笑 そんなに重ねちゃいけないんでしょ、みたいなのはあると思うんですけど、全然かっこよければいいと思うので。聴く音楽が変わったのもあるかもしれないですね。

フジ ミニマルとか。あとセッションし始めたのがでかいって言ってたよね。

ミチロウ 働いてるスタジオで、インプロのセッションやったりとか、butohes以外の人たちと一緒に音を出すことが増えて、それはめっちゃでかいですね。自分が全然持ってない引き出しの人たちがいっぱいいるから。ノイズとかエレクトロニカの人もいるし、現代音楽やってる人もいるし。結局、根幹にあるフェチみたいなやつは変わってないですね。自分の好きな音があって、バンドでやる必要があるかどうか、それをどうbutohesの方に落とし込むか、みたいな葛藤はあります。大前提として4人でやる音楽であるべきなんですけど。でもいろんなジャンルをやろうとかじゃなくて。「その地平の上でbutohesが構築してくんだったら、こういうやり方があるかもしれない」みたいな感覚です。今も手探りでやっているところがあるので、「butohesらしさって何」みたいに言われたら僕もあんま分かってないんです。

フジ 僕も分かんない。

ミチロウ 作曲方法が“脳筋”なんだよね。トライ&エラーなんすよ。出てる曲の10倍20倍ぐらいボツ曲があるんで、メンバーに聴かせる前に自分でボツにする曲とか。昨日も1曲ボツにしました。「これ俺がやらなくていいや」ってなって。笑 昨日の曲もまた面白い発想だったんですけどね。

■ 結局、ロック・バンドになっちゃってる

──「Alba」も最初に聴いた時びっくりしたんですよ。

フジ 本当に僕もびっくりしました。

──「何これ?!」でした。

ミチロウ 「Alba」のために習作みたいな感じで作って犠牲になった曲が5曲くらいありますね。スティーヴ・ライヒをめっちゃ聴いてた時期があって。「Piano Phase」って曲とかは同じことをずっと繰り返してるんだけど、時間の経過に伴ってちょっとずつレイヤーが変わっていって、陶酔感が生まれてどんどん没入していくみたいな。自分になかった引き出しだったからバンドでやりたいなと。セッションをずっとやってたことで、そういうフェチが新しく生まれたと思います。よく一緒にセッションしてる、大畑さん(大畑眞)ってピアニストがいるんですけど、技術的にも思想的にもすごい変態なんです。二人でスタジオで「じゃあ僕は5(拍子)でやるからあなたは7でやってください」みたいなことをずっとやり続けて。その場合だと5と7の公倍数で一緒になって戻ってくるので、合致した時のエクスタシーがすごくて。セッションで構築しようと思うと意外とすごい肉体的な音楽だと思うんですよ。ミニマルって。

フジ だから、エレクトロっていうと「Alba」に関しては若干語弊があるかも知れない。今言ってた話で、そういえばみんな拍子違うんだっていうのを思い出しました。

ミチロウ 全員違う。

フジ ドラムとベースは途中から合流しますけど。まずギター2本の拍子の取り方が違うし。それをメンバーそれぞれが理解して落とし込むまでに時間かかったし、僕もようやくここ半年ぐらいでやっとやってて楽しい曲になって。笑 僕もシークエンスとしてギターのリフに組み込まれるようなベースを付ける必要があって、そこが全然決まらなかったんで、「むず!」って思いながらやってました。音源と、ライブ初演の時とで全然ベースのフレーズが違いますね。途中の長い間奏、今ライブでは音源と全然違うことしてます。

──それこそGARAGEで最初に「Alba」を聴いた時の印象って、何をやってるかよく分からなかったのが正直な感想で。「とにかく同じフレーズをずっと繰り返してるな、すげえ曲だな」とは思ったんですけど、何が起こってるかは理解できてなかったんです。で、音源を聴いて「あ、なるほどね」ってなってからライブに行くと、観る側としても楽しくなって。

ミチロウ そうなんですよ、ポップさみたいなものに昇華するんです。ストイシズムになっちゃ駄目じゃないすか。でもそれを1回音源で、すごい細かく整理する必要があって。その上で初めて成り立ってる構図ではあるから、最初の方とかはできてなかったんだろうね。

フジ 録っててやっと分かったのは僕らもそうかも。ミチロウは最初から分かってるんですけど、他のメンバーがどうやるかとか、どこに何がどうあったら正しいのか分かんないっていうのはずっと続いてたんで。笑 お客さん同様、全員混乱しながらやってたっていうようなのが半年ぐらい続いたと思います。

──その状況自体も面白い。

フジ 面白いっすよね。笑

ミチロウ 僕としてはあんまり望ましくないですけど。笑

フジ もちろん望んではいない。

ミチロウ みんなに分かってほしいんですけどね。

フジ 「どこに(弾いた音が)引っかかってるのか分かんないな」って思いながらライブでずっと演奏し続けて、ドラムとかが正確になってきて、「やっとここにタテがあったわ」みたいな感じになったんで。

写真=Yusuke Mori

──「Alba」はカタルシスとはまた違う何かがあると思う。カタルシスという言葉では片づけられない、もっと高尚なものというか。

ミチロウ でも結局、ロック・バンドになっちゃってるから。笑 そんな高尚なものみたいな感じで捉えて欲しくないと思ってて。あほな、楽しい音楽だと思います、基本的に。

──そうやって楽しめる側面がちゃんとあるんですよね。

ミチロウ ありがとうございます! レコーディングしたあとのミックスはすごい抑圧的で。僕がバンドの熱量をあえて抑制してるようにも感じるんです。それは良くも悪くもbutohesらしさなんだろうなと思います。ライブは全然違うじゃないすか。笑 結局、非常に人間的っていうか。自分で言うのもなんですけど、左の脳と右の脳もどっちも使ってる感じが、音源にはやっぱりあります。聴いてる人が楽しかったらそれでいいんですけど。

フジ まあドラムだろうね、これに関しては。楽しく聴ける要素の一つはドラムだと思います。

ミチロウ 元々もっとダンスビートみたいなこと言ってたんですけど。

フジ 結果ストイックになった。ビート自体はダンス・ビートの流れを踏襲してるけど、別に4つ打ちではないというか。エレクトロニカに近い。

ミチロウ ごちゃごちゃとやってるんですけど、結局ちゃんとバンドとして聴こえてほしいみたいなのもあったし。「ちゃんと歌っちゃってんじゃん」みたいな自嘲も結構ある。笑 「自分の感性に任せて歌ってしまってる」みたいな。やっぱりそこは僕の命題なんですよね。「Alba」は結局そういうことな気がします。

フジ 確かに(ミチロウが)ミックスしてる時にエレクトロサイドに振るかロック・バンドにするかっていう塩梅がむずくて、多分シングルはそこが納得いってない、腑に落ちてないみたいなことを言ってましたね。で、シングルとEPでミックスをやり直してる。

ミチロウ 「breathes」もそうだった。広げようと思えばいくらでも広げられるんですけど、広げすぎちゃって、理想から離れていくんですね。でもそれも面白かったです。孤軍奮闘でしたけど。

──ある種「Alba」はbutohesっていうバンド自体を表してるような曲な気がしますね。

フジ 結果的にそうなったと思います。僕はベースとして納得行くまでに本当に時間かかった曲でしたが、ライブし続けてやっと聴き方や弾き方がだんだん分かるようになって。僕もお客さんと同じようなグラデーションでこの曲を好きになっていった気がしますね。

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Author

對馬拓
對馬拓Taku Tsushima
Sleep like a pillow主宰。編集、執筆、DTP、イベント企画、DJなど。ストレンジなシューゲイズが好きです。座右の銘は「果報は寝て待て」。札幌出身。