【寄稿】それぞれの『Loveless』──不可逆的に組み変わった価値観

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2021年11月4日、My Bloody Valentineが1991年にリリースした2ndアルバム『Loveless』が30周年を迎えた。これを記念し、弊メディアでは『Loveless』のレビューを公募。お送りいただいた文章を随時掲載していく。様々なリスナーによる「それぞれの『Loveless』」を楽しんでいただきたい。

【募集中】原稿は下記フォームまで
https://forms.gle/vwVtdo56v58Doe8z7

■ 借りた靴を履いているような感覚

今となってはかけがえのない1枚になったものの、その魅力を理解できるまでしばらく時間がかかった作品がいくつかある。Beach Boysの『Pet Sounds』、Pink Floydの『狂気』、Radiohead の『Kid A』、そして、My Bloody Valentineの『loveless』。

得体の知れない引力に押し動かされるように、しつこく何度も聴き続けることで発酵を重ね、いつしか自らの心と不可分な「かけがえのない一枚」となった作品が多い中、My Bloody Valentineの『loveless』だけは、丁寧な発酵ではなく、スイッチが切り替わったように不意に聴こえ方が変わる明確な分水嶺があった。そのタイミングは、2018年8月15日。豊洲PITでのMy Bloody Valentine来日公演である。

この世の中は、My Bloody Valentineのライブを体験した者としていない者の2種類に分類される。冗談を言っている訳ではない。前者と後者では、目に映る景色、音の聴こえ方、全てが決定的に違っているはずだ。耳栓が配布されるほどの圧倒的な音量で奏でられるノイズは、鼓膜を揺さぶるだけでなく、空気の粒を振動させ身体を包み込む。胎内に戻ったようにも、宇宙に放り出されたようにも感じられる感覚は、スピリチュアルな体験に近い。「多感な青年時代にパリに住んだとすれば、残りの人生をどこで過ごそうとパリは君についてまわる」とヘミングウェイは『移動祝祭日』に記した。同様に一度My Bloody Valentineのライブを体験した者は、程度の差こそあれど不可逆的に価値観が変わってしまっているはずだ。少なくとも私は価値観が音を立てて組み変わったことを感じた。

終演後、豊洲PITの外に出ると数時間前の自分と微妙だけれど決定的に何かが変わっていた。借りた靴を履いているような感覚。8月の豊洲は、海風が心地よく海鳴りも聴こえた。そんな全てがなぜか新鮮に感じられるのだ。突然訪れた新しい自分とのズレに慣れないのか、ぼんやりした手足。そのまま人の流れに身を任せて豊洲駅に漂着し、いつもの癖でイヤホンを耳に押し込む。開演前に聴いていた『loveless』の「When You Sleep」がアウトロの途中から再生され、続いて「I Only Said」がはじまる。この瞬間、もう後戻りのできない「あっち側」に自分がいることに気づいた。

(Z11)

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